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ぼくになることを=まどかマギカのネタ? アニメ考察

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)
(2000/12)
グレッグ イーガン

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 山岸真のツイッターで言及されてたので調べてみた。

 祈りの海に収録されている「ぼくになることを」のあらすじ

『 あらすじ
近未来の世界、人々はバック・アップ用の〈宝石〉を頭の中に持っていた。〈宝石〉には〈教師〉がついていて、宝石と脳が同期するようにモニターしている。幼少期からの訓練によって、宝石は脳の完全なコピーになる。そして人々は、脳と宝石をスイッチし、神経系統を配線し直し、永遠の命を得ることができる。しかし主人公の“ぼく”は、そのことに疑問を持つ。宝石はただの機械であり、脳の代替物にならないのではないかと。その結果“ぼく”は妻のダフネから逃げ出し、社会からも疎遠になっていく。“ぼく“はとうとうスイッチする決心をしたが、そこで教師が故障し、同期が乱れ、“ぼく”は自分が宝石であったことを知る。体が思い通りに動かないことにパニックを起こし、さらに医者たちに抹殺される恐怖に怯える。しかし、実際には問題なく“ぼく”は体と永遠の命を手に入れた。脳と宝石には実は食い違いがあり、その食い違いの証拠を抹消するほうを医者たちは選んだのだった。

 論点
経験による人格の変化とスイッチとの間に本質的な差異はあるのか?
主人公のアイデンティティーに対する執着心に共感できるか?
スイッチが社会に浸透することによる影響(人口の増加など)があまり考察されていないことはどうか?(アイデア重視の短編だからOK?)
スイッチを正当化する理屈に納得できるか?論理的には正しいか?
など』

 あらすじと論点はここからhttp://web.hc.keio.ac.jp/~fk091865/reading/20071004_boku.html

 まあ確かにあらすじを読むとそんな気がしてくるな。
 
 
アニメ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/08 16:38
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